O君の宿題、bloodthirsty butchersについて

8年前、友人のO君から「なんで吉村秀樹の亡くなったことについて記事を書かないんですか?」ってキレられたことがあったので、そのときから溜まっていた宿題を片付けようと思う。

実はあのとき正直に話せなくて色々言い訳しちゃったけど、吉村秀樹さんが亡くなったことを知らなかったんだ。6年前は人生の中でもトップレベルでうつ状態だった時期で、会社辞めて何もやりたくなくて、インターネットも辛かったから、何も見ていなかったわけ。だからその話をOくんから聞いた時、めちゃくちゃ動揺してた。何より「自分の気づかないところで、大切な人がいなくなってしまうことってあるんだ」と、人生で初めて思い知った。

それで自分がどうなったかというと、生き方に方向転換があったとか、大切な何かを学んだ とか、そういう安っぽい教訓話はなくて(あってもやらない)、実際人生は「なるようにしかならないな」って感じで、ただ7月になると、bloodthirsty butchersの『kocorono』から『7月』を聴くっていうのを毎年繰り返している。それだけが僕の中で変わらないものになっているかもしれない。

言い訳だけど、君からこの宿題を渡された時点で、何かもっともらしいことを記事に書いたとしても、多分全然価値のないものになっていたと思う。あの頃の自分のメンタルの崩れっぷりがひどかったのもあるけど、理論理屈にこだわりすぎたモノしか渡せなかっただろうね。

というか、bloodthirsty butchersについて下手に音楽的な歴史からアプローチした批評文なんて書いたとしても、君は絶対怒るでしょ? 僕だって、よく分かんないライターがあのバンドについて、それっぽい考察なんてしても、絶対に認められないもの。そういう器用な箱の中に収めていいようなバンドじゃないし、吉村秀樹さんもそういう人ではなかった。「NUMBER GIRLとか色んなバンドが影響を受けて~」みたいな歴史を語ったところで、あのバンドの良さは浮き上がってくる気がしないんだ。

そういう意味ではすごく特殊な音楽をやっていたんだなと思う。振り返れば、高校の頃はじめて友人にCDを貸してもらって聴いたときはさっぱり意味が分からなかったし。最初は音の響きも雑音としてしか受け取れず、歌声も歌になっているのかなってないのかすら理解できなかった気がする。

ようやく、その良さが分かったのは大学生の頃で、当時多摩川の近くに住んでいたから、よく川沿いを散歩したわけ。で、iPodに入っていた『kocorono』をかけたら、身震いするくらい感動してしまって。なんて言えばいいんだろう。川沿いの風景と音楽がぜんぶスルッと溶け込んでしまって「僕とブッチャーズがただ向き合っている」だけになったというか。そうなって、なぜか思春期になる以前の記憶みたいなのが、走馬灯みたいに次々と思い浮かんでくるわけで、それで心をぐいっと引っ張られたんだと思う。

ほら特に「7月」ってそういう曲じゃん。多分繰り返し聴いてれば分かってくれると思うんだけど、もう音楽そのものが号泣している感じでしょ。喜びとか怒りとか悲しみとか、全部が全部未分化のまま、ただ純粋に号泣している、あの感じ。あれを音楽で「あの頃ってこんなんだったよね」って表現されたら、そりゃたまらないですよ。

多分、自分がブッチャーズについて他のバンドとかと一切違うなって部分はそういうところなのね。これは蛇足な推察だから読み飛ばしてもいいけど、多分一般的なバンドって表現しているものが、思春期以降の感情の揺れ動きなんだよ。だけど、ブッチャーズはそれ以前の、鮮烈にイメージとしてだけ記憶に残っていた一瞬の風景を解像度高めに出してくる。

よく「豪快かつ繊細」みたいな文句がブッチャーズには当てはめられていたと思うんだけど、めちゃくちゃ音楽的に突き詰めて制作されているにも関わらず、どこかぶっきらぼうな部分を残すところを言い当てているんだと思う。たしかに「田舎の怖そうなガキ大将が、なぜか自分にはすごく優しかった」みたいな印象はある。

そこも魅力のひとつなんだけど、僕にとっては「自分のちょっと忘れかけてたような原風景に立ち帰る」ってところこそが、大事だと思ってるね。

それで思い出したんだけど、一度だけブッチャーズのライブに行ったことがあるんだよ。たしか歌舞伎町にあるライブハウスだった。田渕ひさ子さんが加入した後だったんだけど、そのときに3ピース時代の『プールサイド』を披露してくれて…。もう号泣だったよ。小学校の頃、水泳部だったんだけど、そのときの反射する水の光とか全部よみがえってきて。「世界の美しいものはここに全てあったんじゃん…」って思い出させてくれたんだよね。いや、そのときの気持を「分かれ」って言ったって無理なんだろうけど、少なくとも自分はそうだったよ。

結局何が言いたいのかよく分かんない文章になったかもしれないけど、今のところの自分にとってはブッチャーズってこういう形でしか書きようがなかったんだ。でも「僕とブッチャーズがただ向き合っている」っていう関係は、君になら分かってもらえると信じてる。

もちろん歌詞とか本人インタビューとかそういうのを読み取るのも、向き合うために大事だし、自分もふと思い出したときにそんなことをしている。でも、それは「向き合っている」ことが前提なんだ。見下ろしているのでも、見上げているのでもなく、ね。

最後にちょっと自慢していい? 昔、もう消えちゃったけど、とあるサイトに音楽と映画のレビュー書いていて、ブッチャーズのこと書いたら、Twitterで吉村秀樹さんが反応してくれたんだよ。あのときは嬉しかった。クッソ分かりにくい文章だったはずだから、今思えばちょっと恥ずかしいけどね。あ、この話もう知ってたらごめん。でも、俺はこういうことは何度でも自慢するからな。

この宿題に手を出そうと思ったのも、さっき外出たら夏っぽい景色が広がっていて、「あっブッチャーズの『7月』が戻ってきた」って思って、嬉しかったから書いた。遅くなって、ごめんね。O君、ぶっきらぼうだけど、こんな感じでいいかな?

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