世界と自分に少しずつ失望していくこと

知らないYouTuberに実家の場所を特定され、突撃レポートされるという地獄のような夢を見て起きた。妻の洗濯物を干し忘れていたので、今コインランドリーの乾燥機に突っ込んで、終わるのを待っている。お腹が痛い。

『アクタージュ』という漫画の原作担当者が捕まった。罪状については散々ニュースにされているし、あまりにも内容が酷いので、ここでは書かない。被害者の方がいち早く安らかな日々を迎えられることを祈るばかりだ。

先週この漫画のことを知って、4巻まで読み進めて、家族に「スゴい面白い漫画がある!」と熱く語ったばかりだった。少年ジャンプという媒体で女性俳優の内面を描くという切り口の部分はもちろん、作画から伝わってくる情熱的な演技描写にも魅せられた。高校生の青春モノのことごとくが苦手な自分でも熱くさせるものがあった。

確かに作中の映画監督の強引なプロデュースや周囲の大人の俳優に対する無理解には、「少年漫画という枠組みで面白くするためとは言え、ちょっと大人が幼稚に描かれすぎでは?」と思うところもあったが、それも続きを読めば次第に解決していくかもという気持ちもあり、全巻揃える心づもりを妻に話していたばかりだった。

しかし、原作者が子供への無理解な行為を行ったことで、もう「そうとしか読めなくなっている」ことがショックだ。作者と作品は分けて考えるべきという考え方があり、その理屈にも一定の理解を示せるけれど、受け入れられるかと言えば難しい。

自分は某ミュージシャンが学生時代にイジメをしていたという過去を知ってから、どうしても聴けなくなってしまったということがある。作品から滲み出る作者の心の揺れ動きに注目しがちな自分には、そうした冷静になれない部分がある。

今回色々迷ったが、結局電子版を全巻購入した。これは作画担当の方への少しの支援になれば良いという気持ち半分と、自分はこの作品にどのように期待し、何に裏切られたのかを検証する気持ち半分での決定だ。ストーリーから作家の犯罪者性を読み取ってしまうことの是非はあると思う(そもそも、そうした考え方自体が、遠回りとはいえ被害者を傷つける可能性もあると思うし、推奨できるものではない)自分が納得するためだけの行いなので、非難されても仕方ない。ただ今後作品を読み込む上で、自分の価値基準に歪みがないかを見て見ぬふりはできない、その一点から決めた。

自分は少なからず自分に失望したのだと思う。「こんな浅はかに人を傷つける人間の作品に期待してしまったのか」と。『アクタージュ』の熱烈な愛読者だった方の苦しみは自分の感じているものの比ではないだろう。「こちらが作者のことを考えていても、作者はこちらのことをまるで考えていなかった」という身勝手な失恋と言われればそれまでなのだが、こういうことをきっかけにして自分を好きでなくなっていくのは、あまりに不幸だと思う。

ネットカルチャー系のことを取材していると、こうした類の失望は結構な頻度で起きる。活躍が期待されていたvtuberが突然何も無かったかのように失踪したり、インタビューしたことのあるタレントの方がどうしようもないことに巻き込まれて不遇な扱いをされていたり。その度に自分はちょっとずつ、この世界と自分を嫌いになっていく。

洗濯物が乾いたので、ランドリーを出たらもう朝日がのぼっていた。今日は溜まっている仕事を片付けないといけない。僕が今の仕事をしているのは、世界と自分のどちらも好きになるためだった。しかし自分だって何かをやらかして、今まで積み上げてきたことが無になる可能性はある。そうしたとき、自分は自分であることに耐えきれなくなるんじゃないかと思う。

何か前向きな締めを書きたかったが、先が見えないので、ここまでにする。お腹が痛い。

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