手元の世界だけでもはっきりと

最近、眼精疲労からくる頭痛や腰痛がひどくなってきて、色々と改善を試みている。今日は、そのひとつとして新しいメガネを買った。これまで視力1.0以上の分厚いレンズのメガネを使っていたが、今回は0.8にまで下げた。「こちらの方がスマホや本を読みやすいですよ」とメガネ屋の店員の方におすすめされ、物は試しとやってみたのである。

最初は遠くの景色がぼやけて「まぁ、こんなものか」と若干凹んでしまったが、自分の両手を見て驚いた。いつもより「見やすい」のだ。焦点を合わせやすいと言えばいいのか、両目が無理せずに見れているという感じである。

思えば、自分は遠くのものよりも近くのものばかりを見ている。PCのスクリーンやスマホ、本、テレビ、VRなどなど……。たまに近所の公園を散歩したり、近場の浴場に行ったりするときくらいしか、遠くを眺める習慣がない。すべてが手元で完結する世界に閉じこもってしまっているのかもしれない。

自分は視力だけでなく、考え方も近視的なところがある。今日、明日のことについては割と頭を動かせるのだが「5年後どうしますか?」といった質問にはめっぽう弱い。就職活動のときもエントリーシートを書くのが苦痛でしょうがなかったのを覚えている。なんなら今でも苦手だ。「今後の〇〇業界はどうなりますか?」みたいな質問も、答えに迷ってしまうことが多い。

いろんな人に取材をしていると、将来の像をしっかりと持って、そのために今必要なことを地道に続けている人たちと出会うことがある。そんな人たちは多分遠くのものをはっきりと見通す“メガネ”を持っているように感じる。「自分が見えたこの先の景色は、多分間違ってないのだろう」と信じつつ、その景色にたどり着くための方法を考えているのだ。

遠い地平からモノを見られる人は、目の前の感情に振り回されず、論理的で、自分に厳しい人が多い。おそらく「自分が見た世界が、嘘でないことを証明したい」という熱意がそうさせるのだろう。

チ。―地球の運動について― (1) (ビッグコミックス) | 魚豊 |本 | 通販 | Amazon

そういえば、最近「チ。―地球の運動について―」という漫画を読んで心底動揺した。世の中が「天動説」を当たり前に受け入れている時代に「地動説」の存在に気づいてしまった人たちの群像劇だ。遠い空を見上げ、そこから普遍の真理を見つけ、世界(宇宙)のあり方を一変させてしまう。もちろん周囲はその真理を簡単には受け止めない。漫画の中ではキリスト教による思想弾圧の様子も容赦なく描かれる。しかし「でも悪いとかどうでもいいから、アレの答えが気になる」といった衝動に駆られて、登場人物たちは研究を地道に前に進めようとする。読んでいると「それで、お前はどうなんだ?」と突きつけられているような気がしてくる。

残念ながら自分は目が悪い。遠くを見通すためのメガネも、あいにく持ち合わせてはいない。だから、せめて自分の手元にある世界だけでも、なるべくはっきりとさせていきたい。今日、明日で起こっていることはどういうことなんだろうと注視していくなかに、もしかしたら遠くの景色に繋がるような何かがあるのでは無いかと、心細くも信じつつ……。

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