最近は同じアーティストの曲ばかりを繰り返して聴くようになった。別に新しい音楽に触れなくなったわけではなくて、むしろ自分から好みに合うものを色々探してみたところ、何度聴いても良いと思える曲に出合って、そのアーティストを信頼して耳を預けるようになった感じだ。そういう意味では、巡り合わせに恵まれた1年だったと言えるかもしれない。リアルでの交流が激減した分、作品に親しむ時間が増えたことも要因のひとつだろう。ともかく出合った音楽について、自分が思う「良さ」をここに書いておく。
Virtual音楽ユニット「YSS」
VRChatでの活動をメインにしている音楽グループで、yopi氏、Sorte(櫻野ソルテ)氏、SUSABI氏の3名が所属している。僕がはじめてYSSの音楽を聴いたのは「Virtual Reality Music Festival 2021」だった。そのときはVRChat会場に入場して音楽を聴くという体験も相まって、衝撃的な出会いが起きたように感じられた。正直、イベントで目当てとしていたアーティストが別にいたので、ノーマークだったところから急に殴られたようだった。
YSSの良さを語るのに、音楽のジャンルの何に当てはまっているとか、音の響きにどのような技術があるのかとかいったことについては、自分は語れない。ただ、僕がYSSに良さを感じたのは、その音楽を聴いていると目の前に景色が出現するという点が大きい。彼らが夏を演奏すれば、目の前には幼き日の夏の景色がよみがえり、彼らが夕暮れを歌えば、そのまま1日は夕暮れに染まっていく。
もちろんそれは12月になると街中にクリスマスソングが流れて「もう、そんな季節か」と気づくような心の動きとは全く種類が違う。どんな季節、どんな時間であっても、YSSを聴けばたちまちにして、曲の中の「時間」が立ち現われ、心地よく過ごせる。もしかすればYSSの曲そのものが(実質という意味合いでの)バーチャルに近いものかもしれない。
「今ここ」とは違う時間の流れに浸って、その世界の言葉や音に聴きいれられることほど贅沢なものはあまり無いと思う。YSSの曲には、そうした贅沢が詰め込まれていて、何度聴いても飽きない。
sumeshiii a.k.a.バーチャルお寿司
sumeshiii a.k.a.バーチャルお寿司氏は音楽系VTuberとして活動していて、作詞作曲などのかたちでさまざまアーティストに楽曲提供をしている。その見た目通り、寿司をテーマにした曲も発表している。たしかVTuberだということを知らずに、たまたまYouTubeで見かけて再生したところ、すっかり耳を奪われたのが出合いのきっかけだったと記憶している。
彼の曲は「今は叶っていない夢」と「幸福な日常」、その2つのどちらにも目を向けさせる力がある。例えば『いつか回らない寿司屋で』では、高級寿司屋でのロマンティックなデートに思いをはせつつも、いつもの回る寿司屋の思い出の大切さを歌う。それが「いつまでも夢を見ずに現実の素晴らしさに気づこうよ」という説教くさいものでないことは聴けば分かる。叶っていない夢も今の幸福もどちらも等価に美しいと感じさせてくれるのだ。
『ハッピーだけ歌ってたいよ』も、裏側にある自分の現実的な悲しさを認めつつも、今の幸福感を前面に押し出そうとする。「深夜に車を出して 友達みんな拾って 後部座席には3人 ぎゅうぎゅう狭いって叫んで 信号はずっと青で それはきっと偶然で わかってる、わかってるけど ハッピーを歌ってたいんだよ」という歌詞は、現実逃避の末の多幸感とは無縁のものだ。様々な気持ちを整理したうえでの「ハッピーを歌っていたい」という宣言は、とても心強く、だからこそ何度も励まされる。
ヒトリエ
今年再始動したヒトリエのアルバム『REAMP』も何度繰り返し聴いたか分からない。3曲目の『dirty』から『うつつ』までの流れは、シノダナオキ氏の美しくも陰鬱な歌詞世界に迷子になって出られなくなる。ずぶずぶと暗い感情の沼にハマって『イメージ』で素朴な哀しさに触れ、ラストの「YUBIKIRI」でスッと開放されたような気分になる。アルバム単位で曲を聴くことの良さが分かる。
なにせ大きな喪失の後に発表されただけあって(知らない方は調べてほしい)聴くまでにはかなり覚悟しなければならなかった。だからこそ『YUBIKIRI』の「たとえ今日がここまでだとして きっとこんなんじゃ終わらない 有限の時間は無限だ」という言葉に前向きさを感じられたのが(例え、強引な受け取り方だったとしても)嬉しかった。
他にも紹介したい音楽はあるが、今回はこのあたりで。