もう今更誕生日を祝って欲しいなどという気持ちは無く、あと4日で満1歳を迎える息子に何を与えるべきかで頭を悩ませている。人はどこかのタイミングで祝われる存在から祝う存在になっていく。いつまでも自分を主役に置いていては、先に続かない。
テメェは主役になりてぇんだな。俺は脇役で充分。ヒップホップは名の無い奴に言葉持たせる音楽。それが根拠のない奴にはわかんねえんだな。
人生についてモヤモヤと考える時、何故か頭に浮かぶ言葉があって、そのひとつがKOKのT-PablowとISSUGI戦の、ISSUGI側の言葉だ。この2人の対決は、さらに飛躍する前の猛々しい若手ホープという印象だったT-Pablowが、長年芯のある活動を続けてきたベテランのISSUGIに打ち負けるという点で、いろんな文脈を読み取れる興味深いものなのだが、そういった背景を超えて、この言葉は響く。
「人生の主役は自分だ」といった類の、聞こえの良い紋切り型のポエムは、今や街のどこであっても目にすることができる。あなたが主役なんです、主役は良い服を着飾って街に出るものです、活き活きと自発的に働き、社会や家族から尊敬されるような存在になりましょう、それが、あなたの生きる道なんです。そのような要請を純朴に信じた結果、世の中には結果的にたくさんの主役がはびこっている。好きなアーティストやアイドルを応援する時ですら、「主役である私があなたを”推薦”する(だから、あなたもこのアイドルを好きになりなさい)」という権威性を顕にする”推し”という言葉を使うほど、自分に主役の資格があることを信じて疑わない人は多い。主役は間違わない、正しい選択をする、だから俺の主張は根拠なく肯定されるべきだという素朴な発想から、陰謀論にハマっていく人も後を絶たない。少なくとも、自分はそのように見ている。
しかし、心の奥底から湧き出てくる自己承認欲求や他者への依存を押さえ込み、誰かのために生きることを当然のものとして受け入れ、淡々とやるべきことをやる、つまり、脇役になる覚悟を持てるほど、俺は強いのかと言うと、全く持って自信はない。やはり、時にはスポットライトが当たってほしい。このときばかりは主役の顔でいさせてくれ、そう思うタイミングも、まだまだある。
でも、そうも言ってられない。世の中には、俺が為せなかったことを為せている人間がたくさんいて、そういう人たちを取材したり、その人達の為したことを記録したりするのが自分の仕事で、それをやらないと、先に続かない。何が? 俺を10代の頃からずっと支え続けてくれた文化が。あるいは、苦しいときに俺を助けてくれた人たちの優しい気持ちが。主役ではいられない。さっさと降りて、次に繋がるものを探さなければならない。残された時間も、多分あんまり無い。
皿洗いしないといけないので、ここで止める。
