仕事の中で気づいたことは仕事の中で書くべきだと思っているから、ここで取り分けてVTuberについてアレコレ書いたりはしない。気になるなら、MoguLiveに色々書いてあるから、それを参考にして欲しい。書いてなかったら、許して欲しい。
ここで書くのは学生時代の苦い思い出で、つまり自分語りなので、興味がない人は去ってもらって構わない。インターネットには「自分語りをする=攻撃をしていい対象としてみなす」という文化が通底していることは知っているが、唾を吐きかけられるのだけは勘弁だ。許して欲しい。
20歳の頃、Twitterで読書会の主催をしていた。1ヶ月1回、課題図書を事前に決めて、参加希望者に読んでもらい、当日ハッシュタグをつけて、それについて話すというものだ。自分は、その中で「こんな意見が出てきた」と取り上げたり、本の内容に質問を投げたりして、参加者と一緒に考えるというものだった。
信じられないかもしれないが、15年前のTwitterはまだ「人の話に耳を傾けて話し合いをする」ことに前向きな人たちがたくさんいて、大きく荒れることは無かったし、いつも話し合いは楽しかった。Twitterが楽しかった。ずっと呟いていたかった。みんなの感想を読むのが止まらなかった。
継続するうちに、自分はその中でそこそこ知られた存在になった。個人宛に新聞の取材が来たりもしたから、そう書いても良いだろう。Webサイトに書評の連載を書いたりした。Ustreamで配信して、ラジオのように誰かと話すこともあった。友達とカルチャー系の同人誌をつくって、文化フリマで売ったりもした。楽しかった。本当に。
その頃から自分はずっと「ゆりいか」だった。ヴァーチャル文学少女ゆりいかと名乗っていた。ニコニコ大百科にまだ自分のプロフィールが残っているから、確かめて欲しい。いや、確かめなくていい。友達からファンアートとしてイラストを描いてもらった。それをアイコンにして、自分は文学少女になっていた。「男だろ?」といじられたが、それもネットの悪ノリで済まされた。まだVTuberやバ美肉なんて概念はなかった。
就活が始まる頃、悩んだ。会社のエントリーシートに書くことがなかった。自分の活動はどれもこれも「ゆりいか」のものであって、「堀田隆大」のものではなかったから。Twitterを頑張ってるから何になるんだと思った。ネットの活動と現実の仕事に何の接点も見いだせないのもあったし、「どうせ、ゆりいかのままでは受け入れられないんだろ」みたいな諦めもあった。
2011年のことだった。震災で、ただでさえ求人募集はなかった。出版社へのエントリーも、書類の時点で落とされた。そういえば、ちょうどその頃、応援していたニコニコのゲーム実況者たちが次々と引退や活動停止を発表して、ショックだったことも思い出した。今思えば、みんな同世代だったから、ネットから現実に飛び出さなければならない時期だったのだろう。まだ、ネットのハンドルネームを現実で公開することが当たり前では無かった。「いつか、ネットやアニメは卒業するもの。現実と向き合って戦わないといけない」という観念を当たり前のものに考えていたのは、自分だけではない。どこかそういう空気が、あの時代にはあったのだと思う。
僕はそれでも「ゆりいか」を諦められなかった。ゆりいかのまま社会に受け入れられ、活躍したかった。安物のスーツに袖を通す自分を見て、こんなの俺じゃないと何度も思った。どうして、自分が自分のままであることを社会は許してくれないのだろう。
8月に就活を辞めた。その後引きこもって、Twitterをやっていた。たまたま、某出版社から声をかけられて、ライターと編集アシスタントのバイトをやらせてもらうことになった(今でもその頃の編集者の方には感謝してるし、後に迷惑をかけて申し訳ないと思っている)。親に心配されたが、「ライターとして食っていくから」と押し通した。卒業式のとき、俺の進路を書く欄を勝手に盗み見て「えっ、堀田ってフリーターやるの!?」と教室で周りに聞こえるように騒いだミウラ、お前のことは今でも許していないからな。
ライターネームは当然「ゆりいか」にした。そして、その後の人生はいかに「ゆりいか」でいられるようにするかを考えて生きていた。嫌な仕事から逃げたし、就活も考えなかった。ゴールデン街でバーテンとして立つときも「ゆりいか」と名乗った。みんな「ゆりいかさん」と呼んでくれた。本当に嬉しかった。
時折、「ゆりいか」でいられない時期があった。その頃は本当に悩んだ。当時の業務委託でライターをやっていた職場で、信頼できる人にだけ、こっそりその名前を教えたが、広まるのだけは避けたかった。本名の堀田は何もできない無能だというコンプレックスもあって、それがゆりいかと重なって消えるみたいなことが嫌だったのかもしれない。
2017年、職場でリストラを発表された夜に、電脳少女シロさんの動画を観て、ようやく時代が変わったことに気づいた。「そうでありたい自分で生きる」という中身のないウワゴトを本気で現実化しようとする人たちが続々と現れたのだ。その中には、学生時代にインターネットの中で遊んでいた友達の姿もあった。みんな考えてることは一緒だと思った。自分は全く関係のない一視聴者に過ぎなかったのに、勝手に報われたように感じた。今は、その感謝がしたいから、仕事をしているのかもしれない。
あの頃、VTuberという存在がいれば、自分はそれに寄りかかってもう少し楽に生きられたかもしれないと、時々思う。その一方で、自分と同じようなモヤモヤを感じながら生き続けた人たちの爆発があったから、VTuberはここまで伸びたんじゃないかとも思う。VTuberがその姿のままで、やりたいことを存分にやっていることに何故か救われた気持ちになっている人は少なくないはずだ。
今年、35歳。子どもが1歳の誕生日を迎えた。まだ、僕は「ゆりいか」を名乗っている。
