息子(一歳)がコロナにかかり、看病しているうちに自分も感染し、約1週間休むことになった。京都まで出張した重要な仕事も、日々のニュース記事の仕事も、色々全部すっとばした。
これを機会に身体をしっかりと休め、日々の気持ちの乱れを取り除けるようであれば、まだ良かったのだが、現実は家事や育児の用事に振り回されて、そうゆっくりと休むことはできず、些細なことでカッとなり、妻との口論も止まらず、ずっとイライラしながら過ごしていたのが現状だ。
青い空の日々が続く7月。俺はなぜ、こんな目にあうんだ、日々頑張っている見返りがこれなのか、まだまだ苦労が足らないというのか、湧き上がる嘆きを止められないまま、布団に顔を埋める。咳は止まらない。頭痛もある。発熱で楽しいことも考えられない。本を読んだり、映像を見たりする気力も湧き上がってこない。ただの停滞。ただの遅延。エアコンの生温い風を浴びながら、熱いのか寒いのかもよく分からない日々を過ごした。
体調が回復しはじめ、また動き出そうとした矢先、息子が手足口病にかかった。保育園で感染したらしい。
子どもと仕事、どちらが大事なのかと言われれば、多くの人は「子ども」と答えるだろう。本心でそう思ってなくとも、社会ではそう答えるのが正解だとして。
しかし、もし仕事を失って、路頭に迷ったとして、誰か面倒を見てくれるのだろうか。俺が止まっている間に、周囲の人間は十全に経験を積んで、面白いものを発見して、俺は2度と追いつけなくなって。今の仕事を失って、別の仕事で食っていけるだろうか?子どもを養えるだろうか?
分かっている。俺が社会のことを考えて何か仕事をしたとしても、社会は俺のことを考えて何かフォローしてくれたりはしない。仕事の成果と自分の人生は別であり、そこを一緒くたに考えると歪みが生まれることも、理解はしている。しているが、それでは、なぜ、俺はモノを書く仕事など、やっているのだろうか?
まだまだ先は見えない。
