明日の朝はシチューとパンがある

会社が急に吸収合併されて職場が急激に慌ただしくなったり、本来予定になかったワンオペ育児が発生したりと、すでに2月は散々である。

ここ数年、自分で「こうしよう!」と決めたことよりも、どうしようもない流れで「こうなっちゃった」と思うことの方が多い。いや、数年どころではない。俺はいつも、人というか、その時の状況に流されて生きてしまっている。受験も就活も、その後の職業選択ですら、かなり成り行き任せで「それで何が悪い!」と逆ギレていた。泥舟に溜まる水は真面目に汲み出すが、肝心の帆の方は風に任せてしまう。そんなアンバランスな生き方をしている自覚がある。

とは言え、どこまでが自分の決定したことで、どこまでが流れでそうなったことなのか。胸ぐら掴んで1人ひとりに質問しても、ハッキリとした答えはそう得られるものでもないだろう。

たしか、佐々木敦の「未知との遭遇」では、どこからどこまでが神が決定しているのかを確かめる術はないのだから、起きたことは「よりマシな選択だった」と思う他ないといった意図のことを書いていた記憶がある。ただ、「選択した」という実感すら得られないときはどうすればいいのか、それは自分には分からない。

おそらく、日常の中の小さい選択肢を疎かにしないでおくことくらいしか、流れに飲まれない手段はないのだろう(それでも飲まれる時はあるのだろうが……)

だから、今日は夕飯に栗原はるみレシピ通りにシチューを仕込んだ。冷蔵庫に入れたものを明日の朝取り出せば、ひとまず朝食は乗り越えられるはずだ。それにパンも買っている。息子は炭水化物系しか食べなくて、ホトホトに困っているが、それでも何も食べないよりは良い。

少しでも明日をよりマシにすることを考える。それしか無い。その積み重ねしか、無い。

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