村上春樹新作短編の感想を乱暴に語る

『一人称単数』先ほど読み終えました。最近小説よりは評論やノンフィクションばかり読んでいたし、仕事が忙しくて心に余裕があまり無かったのですが、それでも割とすんなり読了できました。ただ今回「春樹…どうしちゃったんだよ、お前…」と思う短編がいくつかあって、なんというか感想がはっきりしない。「その“はっきりしなさ”が村上春樹の小説特有のものだろ」というツッコミを受けたとしても、今回の短編集は「いや、単純にそういう問題のものでも無い気がする」って答えになってしまう。まぁともかく、それぞれの短編を振り返りましょう(ネタバレアリです)。

『石をまくらに』…これが一番「春樹、大丈夫か?」ってなる作品でした。相変わらず1人の女性を語るところから始まる割に、その方のプロフィールを全く覚えていないところは“春樹節(そんな用語はない)”が決まっているなと思っていたんですけど、ちょっと話の筋がぼんやりしすぎて「え…これマジで覚えてないパターン?」となってしまいました。特にベッドシーンの回想が2回繰り返されるところでは「え、さっきも同じ話したよ?」って思ってしまう。この段取りの悪さに何か意図でもあるのかなと思っていたら、別段そこはストーリーや構造に繋がることも無く。あと彼女がつくる短歌が今回わりとメインに据えられているけど、「男女の愛と、そして死に関するものだった」という彼女の短歌の肝となる部分が何とも話の筋に繋がらない。「たまたま抱いた女の子が意外に深いことを考えていて、一瞬の出会いではあったけど心に残っているなーやっぱり言葉って大事(注意:乱暴な要約です)」程度のつながりしか関係が見えてこないので、他人のふんどしで相撲をとってる感じが強すぎるのと、昔の話とは言え「肉体関係のあった女性の短歌を小説として人前に出すのはどうなんだよ?」っていうフィクション内での倫理観も気になってしまって、煮え切らない読後感でしたね。『人はときには自らの身を、自らの心を無条件に差し出さなくてはならない』の部分は、なんか意味深に重々しく響いているんだけど、それを匂わせるような要素が作中にうまく見つからなかったのも不満点で、黙説法(作品の中でとある対象について直接語らず、黙ることによって存在の大きさを匂わせる表現方法で合ってますかね?)を使ったにしても、ちょっと投げやり過ぎないかと。「名前の重み~」の下りは、後の『品川猿の告白』に繋がっているんだとしたら、ちょっと面白いかもしれないけど。

『クリーム』…これもまた「経緯はよく思い出せない」っていう冒頭から始まって、いよいよ「春樹…体調大丈夫か?」と心配になってしまいますね。友人に奇妙でオチのない話を聞かせるっていう筋なんですが、この辺りは怪談モノを聞かせるような雰囲気が出ていて「おっ面白そうじゃん」となりました。予定されていたピアノの演奏会になぜか辿り着くことができなかった(会場が閉まっていた)のところまでは雰囲気がとても良くて、神戸を舞台にした奇譚として良い感じじゃんと思いながら読み進んだんですけど、謎の老人が出てきてから徐々にテンションが降下してしまいました。なんというか、老人の意味深なセリフがちょっとインテリ臭過ぎるんですよね…。『フランス語に「クリム・ド・ラ・クレム」という表現があるが、知っているか?』っていうセリフのところで、一気に奇怪な老人のイメージが崩れて「なんか深くて良いことを言おうとして、うまくまとまってないジジィ」の印象になって「前半のワクワクを返せ!」って思いました。村上春樹って理不尽な他人といえばいいのか「なんの意味も無い行為でプライベートを荒らして、その後の人生に大きな爪痕だけを残す他人」を書かせたら、天下一品だと思っているんだけど、今回の老人はそんな感じでもなかった。僕が勝手に「これは神戸奇譚じゃん」と期待していたのが良くなかったのか、悪い意味で裏切られた気がしましたね。前半のピアノ演奏会のくだりが、その老人と出会うだけの踏み台にしかなっていないのも、ちょっとおざなりだった気がします。その点、『レキシントンの幽霊』とか『納屋を焼く』の不気味さは凄かったのにな…。

『チャーリー・パーカー・プレイズ・ボサノヴァ』…今回の短編集の中では3番目くらいに好きです。というよりも、先の2作の消化不良感がようやくここで解消されるって感じですね。冒頭のチャーリー・パーカーの嘘記事から春樹が喜んで書いている感じが伝わってきます。後半現実と非現実が徐々に折り重なっていく感じなのに怖さを感じられないんですけど、それは春樹が心底ジャズ好きだから「あ、こんな現実ならアリだな」と思っているからかもしれない。「信じた方がいい。それはなにしろ実際に起きたことなのだから」っていう一文は本当に締まりが良くて、「あれは本当に起きたことだったんだろうか…?」的なオチの一歩先を進んでいるなと思いました。              

『ウィズ・ザ・ビートルズ With the Beatles』…多分今回の中で最も力が入っているように思えた作品。おそらく表題作の何十倍も気合入っている感じがしました。結論を先に言えば、今回これが一番おもしろかった。ビートルズのアルバムを抱えて走る女の子、思想に絶望して自殺した社会の教師、自分の記憶が抜け落ちることに悩む恋人の兄、そして嫉妬深さに苦しむユウコという恋人、それぞれが全く関係ない(あるいは繋がりが見えにくい)人物たちのエピソードをまとめているだけなのに、どこかで全部が繋がっているのではないかと思わせるような書き方が魅力ですね。こういう表現方法って何か研究されてたり、言語化されていたりするものなんだろうか? 例えば「兄が死んだ。4年後母が結婚した」と書くと、「兄が死んだ」という事実と「母が結婚した」という事実は関係が無いことかもしれないのに、強烈に関係があるかのように勘ぐってしまう。こういう「一見無関係なものを並べて、関係するかのように見せる」方法って色んな表現媒体でも使えそうなものに思えるけど、もし研究している本があったら、誰か教えて下さい。

『ヤクルトスワローズ詩集』…僕にはよく分かりませんでした。

『謝肉祭(Carnival)』…オタク仲間として趣味が合って仲が良くて、でも性的な関係とかはない仲の良い男女が、一方が原因で崩れて「え、お前ってオフだとそんなことしてたの…」となる一連の流れがノンフィクション感あって良かったですね。オタクのオフ会怖いエピソード集に近い読後感というか「趣味のつながりだけだと、相手の内面にまで意外と踏み込まないよね」という警句にも近いものとして読み取れました。何を言っているのかさっぱりと分からないという方は、一度オフ会に参加すると「あ、これか!」ってなると思います。春樹にしては割とはっきりしているストーリーでしたね。最後に添えられた、すれ違いバッドエンドストーリーも念押し感がありました。もしかしたら、春樹苦手って人はこれを読むと良いのかも(なんとなくだけど)。

『品川猿の告白』…相手の名前を奪う猿の能力は西尾維新作品(もしくはジョジョのスタンド)ぽさがあるし、ホラーっぽいテイストも相まって、めっちゃ面白いですね(だからこそ、冒頭2作に腹が立ってきたんだけど)。「奪われた人間は自分の名前が思い出せなくなったり、アイデンティティに支障をきたす」という異能力のアイデアも面白いし、それが愛情や性欲と絡むっていうのも歪んでいるのは、吉良吉影みたいだなと思いました。というか、全体的にジョジョのサブエピソードとして出てきてもおかしくない気がしましたね、この猿。話の筋全体は落語の演目っぽいまとまりもありましたね。ひなびた温泉宿からはじまるところも個人的には好きなポイントです。柳家喬太郎さんの空想落語みたいな感じで聞けたら面白そう…。友人に聞いたら、過去作にもこの猿が登場しているらしいので、今度読んでみます。

『一人称単数』…最後に来て、また「うーん?」となる感じでした。スーツを着ている自分の実像がピンとこないって話や、過去いろんな選択肢があった的な述懐の部分など細部はこだわっている感じがするし、全体的には整っているし、話もシンプルに「久しぶりにおしゃれしてバーで酒飲んでたら変なおばちゃんにイチャモンつけられた」っていう話だし、きれいにまとまっている感じがするんですけど、その分引っかかるところが少なすぎる気がしました。いや、これは単純に「これが表題作?」っていうところが気になっているだけかもしれません。ちょっとした肩透かしというか、だったら『ウィズ・ザ・ビートルズ With the Beatles』の方を表題にすれば良かったのではないかと思ったけど、これ編集部の著作権やを踏まえた意向でもあるのかな…。もしかしたら「村上春樹」と自分の実像の噛み合わなさやを踏まえた暗喩というものだとしたら、ちょっと興味深いかもしれないけど。それと、タイトル自体は良いんですよね。

文学好き、春樹好きには「すみません」となるような乱暴な感想文でしたが、なんというか言いたいことはあっても「それは意図的だよ」ってスルリと抜けられそうなところは、相変わらず村上春樹っぽいなと思いました。今日書いた以外のポイントでも気になるところは多々あったので、今度(いつになるのか分かりませんが)、村上春樹好きの友人と読書会(!!)をオンラインでやりたいと思います。また詳細は後日発表しますね。

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