息子が生まれてもうすぐ1年になる。最近は電車を見かけると「うぅー!」と興奮するようになり、保育園でも先生たちから電車好きの子として認知され、食事どきなどは遠くの電車がよく見える窓側の特等席を用意されているらしい。
わずか1歳足らずで自分の好きなものを見つけられたことに驚いているし、その成長ぶりは嬉しい。少し前までは親とご飯とうんちがこの世の全てで、他の世界を構成する要素については無いかのように振る舞っていたが、今は手に取れるものであれば口に入れ、目で見えるものは必死に追うようになった。一挙一足が危なっかしいので、なかなか気が休まらないが、それでも尚うれしいものはうれしい。
僕がこの世で最初に好きになったものは何だったろうか。どうにも思い出せない。幼い頃の記憶力は良かった方で、歩行器を使ってヨチヨチ歩いたことや、ベットの上に音のなるプラスチックの飾り物を吊るされていたことなどは、まだ割と思い出せる。ただ、好きなものとなると、スーパーのお茶屋さんで配られていた抹茶ミルクとか、レゴブロックの無料カタログに描かれていた自動車工場とか、引っ張るとカタカタ鳴るアヒルの木のオモチャとか、そういったものを思い浮かべてみるものの、どれも最初という気はしない。自我の定まらない時分にも、なにかどうしようもなく執着したものがある気がするが……。
以前、企業内カウンセラーの方にインタビューした際に聞いた話だが、退職間近の会社員と対話する際は、子どもの頃から遡って好きだったものについて振り返ってもらうのだそうだ。長く勤めている人ほど、仕事や家庭に強く意識を縛られて、かつての趣味や嗜好を忘れているという。これは退職後に楽しみを見出せず老け込む人とそうで無い人の違いという文脈の中での話だったが、そもそも好きなものを持つこと自体、ひとつの能力なのだなと勝手に思い至った。ゲームのステータスと同様、仕事や家事というものに数値を極振りをしていると、それ以外の能力が初期のままであるというような。
息子もやがては電車が好きだったことを忘れるのかもしれないし、また別のものに強いこだわりを見せるかもしれない(ちょうど今日はじめて水族館に連れていったが、魚の群れには喜びの声をあげていた)。好きなものを増やし、時には忘れ、少しずつ自分というものを組み立てていくのだろう。そんななかで、僕が息子に何か貢献できるのかは正直分からないが、まぁ、きっかけくらい作れれば良いなとは思う。「文化資本」「親ガチャ」など、最近では「能力を育む環境が事前に用意されているかが重要」といった類の思想が流行していて、それも事実の一面ではあるのだろうけど、それは置いておくとして、「自分はそもそも何が好きで、どんなことを喜ばしいと感じていたか、その中で何を息子にも伝えると双方にとって良いか」というところから考えてみることにする。

