9月の半ば、息子と海を見に茅ヶ崎へ向かった。サーフィンをするわけでも、泳ぐわけでも無い。ただ寄せては引く波を見に行くだけ。息子にとっては、初めての海岸だった。
今年の上半期は辛いことが多く、何度か踏ん張らざるをえなかった。その結果、少しは良い方向に向かったものもあったが、あんまり思うようにいかなかったことも多々あって、色々と追い詰められているうちに、いくつかの感情の断片が潰れてしまったようだった。例えば、これまで面白いと思って接してきた物事にも心が動くことが無くなったりとか。朝はSNSの醜悪な話題を見ることで脳を興奮させて起床し、夜は日頃の鬱憤をきっかけに家族と喧嘩したまま不貞腐れて寝る。そういう日々が続いた。なんというか、救われたかった。
そんなことではダメだと思い、8月に入ってから「夏にやりたいこと」というリストを作り、これまでやれなかったことを色々と書き起こした。「海に行く」「穴の空いたジーンズを修理に出す」「植物を育ててみる」……ペンを止めて頭を抱える。夏にやりたいことなんて、とっくに自分のなかから無くなってしまっていたのだ。
10〜20代の頃であれば、青春18きっぷの各駅停車で全国旅したり、友達の家に何日も寝泊りしたり、金が溜まっていれば海外旅行だって視野に入っていただろう。大それたことはしないまでも、まだ行ったことのない都道府県に向かうやら、SNSでしか交流したことのない友人に会いに行くやら、色々やれることのアイデアはあったはずなのだ。
頭の中から「でも息子がいるから……」と言い訳をして、子どもが過ごしやすい、遊びやすい場所をAIにサジェストしてもらい、無難かつ安全でなるべく疲労を平日に残さないような休み方を選択しているうちに、自分の心の中から“夏”が消えてしまったのである。
そうこうしているうちに8月はとうに過ぎた。リストには「海に行く」だけが達成しないまま残り続けていた。9月は雨が続き、そもそも外に出られない日々が続いた。仕事も生活もあまり面白く思えなかった。海に行きたい、それしか考えられなかった。

茅ヶ崎の海は晴れていた。白い砂浜と青い水平線、ありきたりな海のイメージそのままだった。ちょうど海の家が解体されている最中で、人の姿もまばらではあったが、それでも、あまりにも、あまりにも海だった。
息子は初めての海水浴場に興奮して、砂に足を埋めたり、手に取った小石を波に向かって投げたりして、とにかくはしゃいでいた。海には入りたがらなかったが、押し寄せる波から逃げるのが楽しいらしかった。その姿を横目に、ただ海を見て、時間を過ごした。
特にこれで心が浄化され、思考がクリアになり、何か救われるようなことがあったかと言われれば、そうではない。ただ、なんというか、海を見て、海を綺麗だと思うなんて思わなかった。そのことが一番意外だったかもしれない。
あと、ここまで来れたという少しの達成度も得られたことも良かった。行きたいとおもうところには、まだ行けるのだ。

書いていて気恥ずかしくなってきたので、ここで止める。帰りの電車は1時間あり、むずがる息子をあやすのが大変だったことだけ書いておく。
