カメラを買っても、人生は変わらない

昨年、夏の始まる少し前、価格がとても高めのカメラを買った。富士フイルムの「X100Ⅵ」というミラーレス一眼。「曾孫の撮影に使いますから」と、亡くなった祖父から継いだお金をつかって手に入れた。

正直、iPhoneでも十分なのでは? と決めるギリギリまで頭をかすめた。何せ、iPhoneはすごい。きれいに撮れるし、加工も共有も簡単。自分は取材仕事もほとんどiPhone Proで済ませており、実際それで何ら支障は無かった。今あえて、わざわざカメラを買う必要など、どこにもない。ただの贅沢であり、道楽。無駄遣いである。「高級コンデジを買うのは、周りにみせびらかすため」「カメラにハマるのは、表現の世界で何者にもなれなかった結果」「わざわざカメラで撮るという“エモい”体験がやりたいだけ」などなど、Twitterに散見されるネガティブな言葉が嫌でも目についた。

購入したのは、息子のためでもあり、自分のためでもあった。子供が2歳になったあたりで「ちゃんと写真を撮って残したいな」と、ふと思った。なんというか、iPhoneで息子を撮影しているときに、心のどこかで「仕方ないから、これで間に合わせている」という感覚がぬぐえなかった。多分、あまりに撮影体験が簡単すぎるからだろう。もう少し「カメラで撮る」という体験を含めて、大切に記録すべきではないか? そう思ったのだ。そういえば、20代のころの写真データを振り返ってみると、自分の顔を撮影した写真が極端に少ない。それは誰かに撮ってもらうことが無かったから。自分の姿を自撮りすることへの自己嫌悪と羞恥が、自分から20代の自画像を奪っていたように思う。だから、なおさら今の幼い息子を撮影できるのは、家族しかいない。

もちろん、そんなものは親のエゴイスティックな感情でしかない。なにせ、息子はまだ上手く言葉が出てこないのだから「写真を撮ってほしい」と口に出していないし、写真を撮ること自体がどういうことなのか分かっていない。そんな子どもを撮影すること自体を暴力だととらえる人間もいるだろう。ただ「写真が残っていること」と「写真の残っていない」ことで、どちらが息子にとって、後々良いことなのか……。

とは言っても、写真を買ったのは自分のためでもある。ここ数年の自分は、とにかく忙しい。仕事の方はもうキリが無いほど降りかかってくるし、休日のほとんどは子どもの世話に費やされる。その結果、20代のころはあれだけやっていた読書会はおろか、こんなちっぽけなホームページの更新ですら、まともに出来ない始末である。そんな中でも、わずかばかりに日常の中で表現というものに触れる機会を得たい。そんな気持ちの中にすっと差し込まれたのがカメラだった。カメラを構え、シャッターを押す。このシンプルな所作のなかに、わずかばかりの自分の意図や想いが込められる。そこに、もしかすると、自分の人生を好転させる何かがあるのでは無いか?

もうひとつ、30代の半ばを過ぎて、緑内障がみつかったことも大きかった。緑内障自体は定期健診と点眼を怠らなければ失明リスクを大幅に下げられるものだと医者から説明を受けている。しかし、人生のどこかのタイミングで、寿命よりも先に光を失うということも、もしかしたら、あるかもしれない。そう思うと、残りの人生で、少しでも、きれいなモノを見て、その光景を覚えておきたい。そんな思いも、カメラ購入に踏み切らせたのは、間違いない。

まぁ、ほかにも、仕事でVR関係の最新機器の情報を追いかけすぎて食傷気味になり、自分の手で弄られるようなアナログなものが欲しくなったという、しょうもない動機も、10~20%くらいはある。最新機器というのは、どんどん身体を使わない方向に進化していくものばかりだが、なにか手を動かさないとモノをうまく考えられない僕のような人間にとっては、カメラをいじる時間も手慰みとして必要に思えたのだ。

そんなこんなで、約1年間、「X100Ⅵ」を使って、色々な写真を撮ってきた。

楽しい。これは間違いない。息子と外に出て、ふとした瞬間に出会うものにカメラを向ける。この行為自体は、とても充実したものだ。最初は、特に設定もこだわらず、シンプルに撮れるものを撮るだけだったが、最近はフィルムシミュレーションに合わせて色々設定をいじったりすることにも興味をもちはじめた(わからないことの大体は、この方のYouTubeチャンネルを参考にしている)。近所を散歩するだけでも、カメラを片手に持っておけば、ほんの少しだけ、表現の世界が自分に帰ってきたような気がするし、写真を見返すと、子どもの成長の早さや些細な変化を感じられて、やはり買ってよかったと思う。

では、カメラを買ったことで仕事や生活にハリがでて、表現の技術も熟達していき、モノを見る感性が研ぎ澄まされ、クリエイティブを大きく発揮できるようになり、それが人生を大きく変えるきっかけになった……かと言えば、残念ながら、そんな大層な変化は起きていない。仕事は相変わらず忙しいし、神経はささくれだったままだし、しんどいときはカメラを見ることさえ億劫になるときがある。カメラひとつで人生が好転するようであれば良いのだが、人生の荒波の方は、相変わらず荒波なので、こっちの楽しみなど知ったことではないようだ。

「これを買えば、人生が好転する!」「これで私は人生が変わりました」といった文句のグッズPR広告はいたるところにあるが、実際はおそらく順序が逆で「変わろうとした先に、たまたま何かのモノとの出会いがあった」ということがほとんどなのだと思う。そういう意味では、自分もまた、どうしようもない状況からの少しの変化を試みて、その先にたまたまカメラがあったに過ぎない。欲しいモノの購入の前には、すでに変えたいという気持ちの方が先に来ているのだ。

残念ながら、30代も半ばを過ぎた人間の人生は、そんな簡単には自分の思うようにはならない。目まぐるしい日々の間隙を突くように、いそいそとカメラを取り出すくらいが精々である。それでもなお、変えたいという気持ちを失わずに済んでいるのは、もしかしたら、カメラのおかげかもしれない。

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